十和田市議会 2022-03-11 03月11日-一般質問-03号
その調査会社のほうからの報告もございまして、可能性があるということと、平成元年9月に、旧十和田湖町時代なのですけれども、焼山周辺一帯、十和田湖までかけまして、飛行機を飛ばしての空中探査ということを実施しております。その中で、湯ノ台の一部に可能性があるという報告もございましたので、それを基に令和4年度に調査した上で決定していきたいと考えております。 以上です。
その調査会社のほうからの報告もございまして、可能性があるということと、平成元年9月に、旧十和田湖町時代なのですけれども、焼山周辺一帯、十和田湖までかけまして、飛行機を飛ばしての空中探査ということを実施しております。その中で、湯ノ台の一部に可能性があるという報告もございましたので、それを基に令和4年度に調査した上で決定していきたいと考えております。 以上です。
特に十和田湖町時代に野外コンサートを我々ちょっとやったことがあるのですが、外から中が見えないようにフェンスを張りめぐらさなければいけないという大変な作業が出てきますので、そういったことから考えると、チケットを販売してのコンサート等はやっぱりなかなか難しいだろうというふうに思っております。
岩木山環境保全協議会は、昭和46年12月7日、岩木山の自然環境の保全に努めるとともに、当該地区の諸施設の総合的な調整を図り、その効果的な運営を促進することを目的に、旧岩木町時代に設置されました。 協議会が設立されてから市町村合併が行われた平成18年までは、岩木町長が会長を務め、当時の観光商工課が事務局を担っておりました。現在は、日赤岩木山パトロール隊長が会長を務め、市が事務局を担っております。
岩木山総合公園は、旧岩木町時代に建設された岩木地区におけるスポーツの拠点であり、各種スポーツ大会や合宿の受け入れも可能な施設でありますが、建設から26年ほど経過しております。 私は、雪の降る前に現場を見てきました。
これまでの議論で明らかになったことといえば、青森市の教育施設に対する考え方は、浪岡町時代だったころの考え方と違うということがあります。その他の要因として、財政が厳しいということもありますが、学校からの修繕要望が多く、手が回らないということも、この間の答弁で述べられていました。
青森農協と本市の関係は、浪岡町時代の浪岡町と農協との関係を比べれば、やはり薄いものがある。これをぜひ太い関係にしなくてはいけない。これについて認識をお願いいたします。 304 ◯副議長(斎藤憲雄君) 答弁を求めます。
また、減免は、旧岩木町時代からある高齢者利用支援事業で、市町村合併時の協議により継続して実施しているものである。」との理事者の答弁でありました。 委員より「岩木ふれあいセンターの所管がかわったのはなぜか。」との質疑に対し「当該施設は、多世代交流の場や高齢者利用支援事業に利用されており、観光政策課から介護福祉課へ所管がえしたものである。」との理事者の答弁でありました。
旧浪岡町時代の一般会計100億円と同等の金額であり、したがってリンゴが基幹産業であると言われるゆえんであります。そして、合併特例債事業として、青森市りんごセンターを約30億2500万円の総事業費で建設をされました。 そこで質問です。CA冷蔵庫の活用状況をお示しください。 以上、壇上からの質問にかえさせていただきます。御清聴ありがとうございました。
ライトアップ、それから銚子大滝のプロジェクションマッピングについてでありますけれども、当時、十和田湖町時代に、私もスタッフとして参加しておりましたし、非常に人気の高いイベントでもありました。
岩木山神社敷地内に設置している公衆トイレ――安堵館については、旧岩木町時代に岩木山神社より、当時設置されていたトイレの老朽化による改修の要望があったことから、昭和63年に全面改修を行い、以後お山参詣や神社への参拝者、岩木山への登山者など多くのお客様に御利用いただいてきております。
また、財源も、旧浪岡町時代の土地開発基金を活用するということでありますので異論を持つものではございませんし、恐らく多くの議員の皆様方の御賛同をいただけるものと思います。しかし、合併検証委員会の報告書提出から2年以上、アンケート調査からも約2年を経過、さらには、計画された合併特例債事業もほぼ実現される中で、住民の意識も相当変わってきているはずです。
私も最初、市民政策部長と私は、浪岡町時代には賛成派と反対派で議会で何度も議論しました。あなたがその担当をやっていることに私は違和感を持ちました。しかし、今考えてみれば、反対派の人であったからこそ、そういう人たちの意見を取り入れながら今日まで来たのかなと、私は今そう思っていました。ですから、今はあなたに感謝しています。あなたは今退職だということですから。私は感謝しています。
岩木庁舎は旧岩木町時代の昭和54年に建築され、以来、地区住民のさまざまなニーズに応える拠点庁舎として長らく親しまれてきました。築後三十数年を経て、耐震性に問題があることに加え、施設・設備の老朽化も著しいことが判明いたしました。 このようなことから、まず平成25年度から庁舎の耐震補強を行い、昨年この工事を終え、現在は老朽化対策として庁舎の全面改修工事を進めているところであります。
1 「現在、中学生を派遣している屋久島町との交流や、平和の日の事業として長崎市に子どもたちを 派遣しようとする事業は、教育委員会が所管しているのか」との質疑に対し、「屋久島町との交流 は、浪岡町時代からの交流の歴史を引き継ぎ、ホームステイという形で実施しているものであり、 引き続き浪岡事務所で所管していく。
米からの転換として、浪岡町時代からいろいろなことを転換作物として取り組んできました。減反面積の比較的少ないときには、青果、ニンニクなど、また面積が大きくなってからは、ソバの捨てづくりが主流となりました。その背景には、田畑の転化ができない圃場と農家人口の減少、高齢化。この中で、40年代、50年代に比べて労働力が落ちたことと、つくってもお金にならない。
市長は国に対し、適正閉鎖にかかわる財源支援のお願いをしたようでありますが、今から10年以上前の旧浪岡町時代には、最終処分場の適正閉鎖にかかわる補助制度はあったものの、その補助制度は時限措置のものであり、現時点では財政的支援を得るのは極めて難しい状況とのことであります。
さて、先月、8月1日から5日まで、旧浪岡町時代からの友好盟約を結んで交流を進めてまいりました屋久島との交流20周年と世界遺産に登録して20年を記念して、青森ねぶたを運行してまいりました。
岩木庁舎前の庭園は、面積が約2,700平方メートル、約817坪で、桜、松、ツツジなど四季を彩る植木や芝生が植えられているほか、由緒ある石碑や園路が整備されており、誰もが気軽に足を運ぶことができる憩いの場として旧岩木町時代から広く市民に親しまれております。
昭和63年、豊かな人間性を身につけるため、成人、婦人、高齢者等を対象とした集団学習を奨励するとともに、文化団体、サークル等の育成に努めるという町の社会教育の方針で開かれたのにこたえて有志で組織した、言うなれば社会教育の殿堂である中央公民館が生みの親であり、岩木町時代は社会教育団体と認められて、使用料は徴収されておりませんでした。